ぴっぴ倶楽部

めんどくさがらずに書きます(めんどくさい)

琉球語を風化させているのは誰か?

「あんたウチナーグチは喋れるね?」と50-60代の男性が僕に聞いてきました。「喋れないです。」と答えると、男性はすごく呆れたような顔をして僕のもとをブツブツ言いながら去って行きました。

これは一年ほど前に僕がうちなーぐちに関するシンポジウムでバイトをさせて頂いた時のことです。この時僕は、自分がウチナーグチを喋れないことを恥じるということよりも、この男性に対して嫌悪感を覚えたのと同時に、これもウチナーグチが廃れる一因になっているのだろうなと思いました。
僕は平成4年生まれ23歳、現在大学生です。
言い訳のようですが、僕は今までほとんどウチナーグチに十分に触れられる環境にありませんでした。僕が生まれた時には既に祖父も祖母も亡くなっていたし、周りにウチナーグチを使う人もいなければ、学校でも習ったことはほぼありません。もちろん、環境がどうであろうが、自分が興味を持ちさえすればいくらでも学ぶことは出来たでしょう。しかし、僕はそうではありませんでした。努力をしてまで、うちなーぐちを喋りたいという気持ちは持たなかったです。

ウチナーグチは沖縄の文化

言うまでもなく、ウチナーグチというのは沖縄の大切な文化の1つです。これは最近知ったことですが、国連の方でもウチナーグチは日本国の方言としてじゃなく、琉球独自の言語であると認められているそうですね。それも、沖縄に対して国連ウチナーグチの教育を求めているのだとか(日本政府が認めていないので、実際にはウチナーグチの科目というのは追加されていないらしい)。僕はアルバイトで昔の沖縄民謡や琉歌に触れることがあります。もちろんそこでは多くのウチナーグチを見るわけですから、「そうか、こうやってウチナーグチをもって沖縄の文化というのは育まれて来たんだよな。」と少しだけですが思うことが出来ます。今ウチナーグチが危ない、残していかなければいけないと感じている人というのは、僕なんかよりもそのことに関して肌で感じている方々だと思うし、問題意識というのもより身近に感じているのだと思います。
そこで話は最初の方に戻るのですが、僕が嫌悪感を抱いてしまった男性というのも、シンポジウムに参加するくらいですから、ウチナーグチにかなり関心のある方だったのだと想像が出来ます。しかし、そういったウチナーグチにしっかりとした意識をもっている人が、ウチナーグチに関心がない人に対して、冷たい態度を取っていて、果たしてウチナーグチというのは守ることが出来るのでしょうか?

「自分は良いものを紹介しているのに...」という意識

「自分は良いものを紹介しているのに、周りが理解してくれない。」これは分野問わず、多くの人(特に何かを発信しようとしている人)がブチ当たる問題だと思います。「良いイベントやっているけど、沖縄の人はアンテナ張ってる人が少ないから…。」気持ちはわかります。わかりますが、周りのせいにするのはどうなんでしょう。そんなに良いものを知っていて、それを発信する立場にあなたがあるのであれば、そこに関心を持つ人が少ないというのは、単純にあなたの発信不足、力不足も確実に要因としてあるわけです。

言語だって同じです。「文化」だとか、「アイデンティティ」だとか、そういう素晴らしい言葉を並べたところで、相手が興味を持たなければ、それはちっともそれは魅力ではないのです。それは非常に残念なことではありますが、そうなんです。だからこそ、ウチナーグチを知っている人というのは、知っていない人とのギャップを常に気をつけながら、それを伝えていかなければならないのではないのでしょうか。少なくとも、「知っている」ということにあぐらをかいて、知らない人を批難する態度というのは、良いものではないですよね。本当に伝えたいのであれば。
例え誰であれ、人に何かを勧めるということは、発信することであり、表現ではないのでしょうか。同じモノを勧めるとしても話のうまい人、そうでない人では全く印象が変わりますよね?それは表面的な技術だけではなく、もちろん誰が発信するのかというのも大きな要素です。あなたが知っていることがどんなに素晴らしいことで、どんなに有意義なものであったとしても、それを上手く伝えられなければ、あなた自身は発信者としては十分でないということかもしれません。少なくともあの男性の態度というのは、ウチナーグチを守りたい人と、ウチナーグチに関心がない人のギャップをより大きくするものであったと思います。

僕も気をつけよう。
 
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